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脳を「快(かい)」にする [ココロの使い方]

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この、「意識を向ける」ってことに注目してもらえれば、もうお解りの通り、
宇宙にまでデカック話が飛んでいっているようで、
実は、「ココロの中」の話であるワケよ、
自分の奥に意識を向けさえすれば、「ハッ!」とできることがある。

ココロを広げる、だの、
自分の夢の世界を生きているんだから好きにしたらいいだの、書いてきたけれど、
その自由空間で、なにをどう想い、どう形作ってきたのか、が、新しい価値観を生み出す。

今まで形作ってきたものを壊してみたり、
もしくは、もっと肉づけしてみたり、
角度を変えて眺めてみたり、逆立ちしてみたり、
もう一度初めから組み立てなおしてみたり、
そうやって、
どんどん自分で自分を改築して、開拓して、壊して、ぶちまけて、グイグイやって、

「あ!それもあったか!!」
「これはもう処分しよう」なんてことが自然と出てくる。

中途半端にオトナぶって途中で引き返すから、余計な知恵を背負い込んじゃう。

とことん、やってみればいい。
自分のことなんだから。

ダイエットの話に戻ると、
「ダイエット」だなんて、本来のコトバの意味も知らないで、
格好つけて、カタカナに躍らされて、うやむやにしているだけ、なのでは?

痩せたければ遠慮せず痩せればいいし、
特に頑張る必要のないものだし、
自由に好きに楽しめばいいのに、って思う。

やってみたけれど、続かなかったのよー、なんていうのは、
やり方が間違っているか、自分に合わないことをやっていたか、のどちらか。
もしくは、実は、ぜんぜん「やりたいことではなかった」だけ、なんじゃないですかね。

いかん!
占い師的ブログでもダイエットのこと書いたのに、
こっちも同じような記事になってはいかんな、、、
すまん、おもいがけず、痩身の話になってきた!(笑)

指が動くままにキーボードを打っているので、
どっちに転ぶか、なにが飛び出すか、ワタシにも解らない文章だ・・・、

初めは「煩悩にまみれろ!」「好きに生きろ!」ってことがテーマで、
どう流れていくのか楽しみながら書いていたら、こっちに流れが来たようた。

ココロの使い方について、まだまだ書いていくので、
興味があったらまた読んでみて。

ココロっていっても、結局「脳みそ」だからさ。
「脳みそ」の使える部分をしっかり使いましょうよ、ってことかな。

「脳を快にする!」これがテーマ(笑)

では、また次回♪


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持ち主が管理する、もの [ココロの使い方]

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前回、「食べたいもの」を思い浮かべてもらったけれど、
これは、痩せたいと思っている人にお薦めの
「ブレイン・トレーニング」(脳の訓練)でもあったりするんです。

カラダというのは、あなたが食べたもので出来上がっている肉体。
もともとの体質や体格、
つまり、細胞の記憶があるから、
肉を食べ続けたからといって日本人が欧米人になるわけではないし、
カレーを食べ続けたからってインド人にもなれない。

当たり前だけど、この当たり前さを多くの人はわかっていない。

短絡的にヨーグルトがいい、とか、コラーゲンがどうの、とか、ココアとか、
妙に一点集中してみたがる傾向があるのもおかしな話。

カラダも脳も、実は食べ物で影響するし、
生活習慣が大きく関わってくるもの。

考え方のこだわりや偏りは、
食べ物と生活習慣から見直さないといけないものでもあったりする。

覚えてます?
肉体は「わたし“の”もの」という話
(覚えてない人、初めて読む人はブログの始めから目を通してね)。

「わたしの持ち物」なので、
「わたし」という持ち主が管理していかないといけないもの、なわけ。

ということは、食べ物も考え方も全部ひっくるめて、
生活全般の見直しって大事かも知れない。

ココロとカラダはつながっているし、ココロは自分の部屋ともつながっている。
社会ともつながっていて、地球全体とも、
そして、宇宙そのもの、でもあるっていうこと・・・まで、意識を向けてもらえたら、
もう、私がダイエットの講座なんてする必要がなくなってしまうんだけど(笑)

・・・ってことで、また次回♪


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今、なに食べたい? [ココロの使い方]

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前々回くらいに、頭は自由なんだよって話をしたよね。
前回は、「今、どうしたい?」「今、なにしたい?」って投げかけさせてもらった。

普段、私たちは、ある程度、凝り固まった思考で生きている。
それほど突拍子もないことを日常に持ち込まず、平穏に生きている。
繰り返し同じことを想い、
繰り返し同じことを恐れ、
悔やみ、憧れる。

でも、待って!

思考や思想は自由なんだよ。
どこまでも広げて思い巡らすことが出来る。

たとえ、今、窮屈な世界に肉体という身をおいていたとしても、
「今どうしたい?」「どうであったら嬉しい?」かは、制限なく考えることができる。

あー、なんて自由なんだ!

ワタシって発想が乏しいから浮かばないの、なんていう「言い訳」を言っている人は、
このブログ、はじめっから読み直してね。

「なにが食べたい?」かくらいは、想いめぐらせられると思う。

それに、これが一番、わくわくするし、嬉しくなるし、単純に、楽しい。

今、この瞬間。
自分が自分のココロの奥で感じ取る、モノ。
TVCMに惑わされることなく。

巷の情報に踊らされているうちは、
自分がなにをしたいのか、なにを食べたいのかをなかなか自分から引き出せない。
この単純なものですら、答えを出せないヒトが多いのかもしれない。
それだけ自分の気持ちを無視して生きてきたんだよ、
そろそろ、救い出してあげようよ。

なにもない、まっさらな状態で、浮かぶ、モノ。
情報に惑わされない、あなただけの、あなたの中にある、
たったひとつの真実。

さ、
あなたがたった今、食べたいものは、なに?

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今、どうしたい? [ココロの使い方]

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じゃぁ、どうすればいいか。
前回の続き。

このブログ、続きモノになっているから、時間がある人は最初から目を通してみて。
自分の生き方・自分の人生にもやもやしていることがあるヒトなら、どこかにハッとする部分があると思う。

時間って、たくさんあるように感じているかもしれない。
生まれてからずーっと長い時間が経っていて、
「オトナ」というカテゴリーに入ってから、
なんだか横ばいの折れ線グラフを生きている気持ちになっていたりする。

でも、待って。

時間って「今」しかないんだよ。

「今」、この瞬間にしかないんだよ。
瞬間の連続が「今」。
昨日のワタシと今日のワタシは、違うんだってこと。

連続のワタシがワタシを作っているのもホントウだけど、
細胞は刻々と生まれ変わっているわけで。
よくよく考えてみると、いつまでも引きずっているのは、自分の思考の中だけ。
いつまでも過去に囚われたり、まだ来てもいない未来のことを不安がってみたり。

「今」この瞬間にやりたいこと・感じていること・考えていることは、いったい、なに?
いろんなことを考えてしまって、頭がパンクしそうになって、
息も苦しくなって、どうやったら幸せになれるんだろうって、遠くの未来を想って、
引き寄せの法則なんかやってみたりして、
新月の願い事も欠かさなかったりして、
・・・それはそれでステキなことなんだけど。

ねぇ、この「今」に集中してみない?

今、なにしたい?
今、なに食べたい?
今、誰と話したい?
今、どう動きたい?

今、今、今・・・瞬間で変わる「今」の「ワタシ」をどうさせてあげたら一番ステキ?

きっと、そういうことを
「感じないように、考えないように」生きることを強いられてきたんだと思う。
学校や職場や家庭で、
決められた時間枠で生きなきゃいけないことに慣れて、
マヒしちゃったんだと思う。

これは、あなたが悪いわけじゃないよ、自分を責めることはナシね。

お昼ごはん、今、食べたくないけど時間だから食べなくちゃいけない、、、
同僚と一緒にランチに行かなくちゃいけない、、、
明日も早いから眠らなくちゃいけない、、、
ラッシュの電車に乗らなくちゃいけない、、、

あー苦しいね!

そういった枠が全部なかったとしたら、どうしたい?
ワガママだとか無理だとか思わずに、
今、この瞬間に
「なにがしたい?」
「どうであったら嬉しい?」
「どこにいたら幸せ?」
「どんな自分だったら活き活きしている?」

あなたの、「今」!

そういうことをちょっと、感じてみてくれない?

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悶々、が、さらに、モンモンを生んでる [ココロの使い方]

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いろいろ、小難しいことは好きじゃない。
パパッと展開が速いほうがいい。
ちんたらしている間に目の前の時間は変わっているわけだもの。
とにかく、
格好つけてないで、
胸の奥にくすぶらせている、そのプスプスと音を立てているものを
さらけ出して、ぶちまけてみたらいいと思う。

なにをもったいつけて隠しているのか知らないけれど、

「でも、だけど、だって、でもね、ダメだしね」なんて言っているヒマがあったら、
ココロの中をさらけ出して、ポーンッと手を離してみたらいいんだよ。
誰かが拾うかもしれないし、
ケチをつけるかもしれない、
踏みつけられるかもしれない、

でもさ、
それはその人の価値観なり、その人の枠の中であって、
あなたの評価でもなんでもない。

その人が自分の枠の中で、自分にとってどうなのかを判断しているだけであって、
あなたのことを認めているわけでもない。

だから、そこにいちいち引っかからなくていい。

誰も見てない、あなたなんて。
誰も考えない、あなたのことなんて。

みんな「自分の夢を生きている幻」なんだから。

人がどういう反応を見せるかを
「気にしているワタシを生きているワタシ」ってことなんだから。

あー、
ほら、だんだん面倒くさくなってきたでしょ。

自分がなにを欲しがっていて、なにが足りないと思っているのか、
それすら、たぶん、「わかっていない」んだと思うのよ。

自分の欲望とか執着とかを
「こんなふうに思ってはいけない」
「こんな考え方だからいけない」
と規則を作って、忠実に生きようとしてきたから、
ずっとずっとくすぶり続けているんだよ、胸の中で、なにかが。

その小さな火種が妙な執着に火をつけて、
あなたをさらに頑固者にしていくの。

ますます堅物になってしまったら、ますます飛び出せなくなるじゃない?

それって、もったいないよね。

だって、なんとかしたくて、悶々としてきたはずだもの。
そういう自分を変えたくて頑張ってきたはずだもの。


じゃぁ、どうすればいいのか、
次に、話すね。

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幸せへの道は◎◎だけ! [ココロの使い方]

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このブログ、続きモノになってるから、前回を読み直してみてね。興味あればね)

で、どうしたらいいか、ってことよ。

こんなに煩悩にまみれて、我欲が強くて、執着心も捨てられなくて、
・・・でも、幸せになりたいんですぅ~、と人は言う。
かわいい子だったらオレがなんとかしてやるぜぃ、という男子もいるかもしれない。
かわいい子だったら、、、これも立派な偏見的執着だな。
頭の中って、自由なんだよ。
どんなことでも想えるし、どんなところにだって行ける、
どんな人とも逢えるし、どんな人物にだってなれる。
過去にも未来にも宇宙にも飛んでいける、
タイムラグなんてなくて、もう、想いたい放題!!

れ、すごいことだと思いませんか?

考えたり感じたり物思いにふけったり。
脳みそをもっと使ってやることが幸せへの近道なんじゃないの?

たくさん考えて、たくさん感じて、たくさん想うこと。

今まで、ネガティヴに感じ取ってしまっていた思考を逆にしてみたらどうだろう?と考える。

「悪い」と思っていたことを逆にとらえてみるとどうだろう?と考える。

こうでなくてはならないと決め付けていたことを
もし、そうじゃなかった場合だとしたらどうだろう?と考える。

幸せへの道って、ただ、それだけ。

広げてみたらいいんじゃない?
脳は使い慣れた方向にベクトルを向けるから
「また、同じことになっちゃった」ということが好き。

新しいことは無理やり入れ込まないと覚えてくれない。

つまり、
「今日は、おはしは小指と親指で持って、鍋を足で運んでみよう」
・・・なんていう「新しいこと」をカラダが勝手にやろうとはしてくれない。

思考もおんなじ。

脳は、繰り返し繰り返し、同じことを思い返すことに慣れているから、
新しいピカピカの考え方はむずかゆいらしい。
いつもと違う思考が流れ込んできたら、全力で止めようとする。

そこで思考の大もとである「ワタシ」はもやもやしちゃうわけ。

いつもの思考を「正しい」と感じ、「やっぱり」と思いそうになる。
そこをグイグイ、新しい思考をかぶせていく。

このクセをつけていくと、
知らず知らずに考え方の幅が広がって、自由選択が増えてくる。
ちょっとだけ、違う方向に考えをめぐらせてみたらどうだろう? と思うだけ。

時間もお金もかかりませんよ。

同じことがグルグルと巡っているなぁ~と思ったら、
試しにやってみても損はないと思うけど。

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“私のもの!”に執着してみる [ココロの使い方]

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自分の持ちものを「私“の”もの」って言うよね。
「人“の”もの」「誰か“の”もの」という表現。
国文法的に言えば、「だれそれの」は「もの」を修飾する連体修飾語であるのだが、
それはそれでいいとして(汗; ・・・文法にはめっぽう弱い)、

私のかばん、私の靴、私の家、たまたま買ったものや、
誰かからプレゼントされたものも、手に入れば「私のもの」になる。

じゃぁ、カラダはどう?

「私のカラダ」という表現をするよね。
カラダって、誰かのものじゃない。私、だ。私そのもの、の、はず。

私のカラダは私、だよな。

でも、その表現が見つからない。

私そのものではなく、私“の”カラダ。
「私」という魂が入れ物として使っている「肉体」という持ち物です、ってことだよね。
だから、人はこのカラダに執着する。
いくら外見ではなくココロが大事だよ、と言っても、
ほんとうに理解している人になんてこれっぽっちも出逢わない。

着飾ったり、笑顔見せたり、ウソついたり、無理したり、取り繕ったり、
そうそう、ダイエットしたり、運動なんて執着がなくちゃできません、って。
食べる、寝る、触れ合う、という3大欲求は肉体の本能だから、
ここに執着がなければ、生きることはとうてい無理ということになる。


執着は消せないのよ、肉体を持って生きているうちは。
それが「欲望」ってこと。

スピリチュアルでキレイなコトバでいろいろと誘い文句を聞くけれど、
過去も未来も、そして今、この瞬間も、
ここに同時に存在するんだし、放って置けばいいものを・・・、

過去世がどうの高次がどうのカルマがどうの、なんて、それは新たな執着ですよ、
執着を持たないように執着しようとしているだけなんだってば。

もともと、煩悩にまみれているし、執着しまくっているんだから、
それをなんとかしようとするな、ってことなんですって。

続く。

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自分のまま、ありのまま、我がのまま [ココロの使い方]

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よく、講座等で「我がのまま」に生きてください、とお伝えします。
そう、
「ワガママ」ではなく、「我がのまま」で。
この違い、わかりますよね?
なんでも私の私の!と主張するような強欲の状態ではなく、
ありのままの自分のままで、素直に自分を生きていこうよ、ということ。

結局、
『自分が見ている世界』を誰もが生きてる。

それぞれが、それぞれ「見たいように世界をみて生きている」し、
それぞれ「聞きたいように聞いている」。

同じ景色を見ていたはずなのに、感動ポイントがまったく違ったり、
同じ言葉や言い回しでも、ポジティヴに取る人もいればネガティヴにしか取れない人もいる。
目や耳が拾い上げているものは、そのヒトの世界を形作っている。

だったら、
あれもこれもと欲張らずとも、
もともと人間には切っても切り離せない『煩悩』ってもんが備わっているんだから、
それに沿って生きて行ったらいいんじゃないの?ってこと。

(余談だけど「沿って」も「反って」も、おなじ「そって」なんだなぁ~、奥深いなぁ~、と思ったので書いとくね)

つまり、
自分自身のために、
自分が生きていきやすい世界を自分の中に創りあげたらいいってこと。
あなたが幸せだと想うカタチ。
好きな状態。
やりたいこと。
欲しいもの。
触りたいもの。
見たいもの。
行きたいところ。
逢いたい人。

遠慮せずに形作れば良い、好きにすればいい。欲しがればいい。

そして、
捨てたい・要らないと思うものは、バシバシ捨てていけばいい。
自由にすればいい。

自分に遠慮せずに。
自分を堂々と存在させればいい。

人に遠慮しているんじゃない、自分自身にためらっているだけ

欲望は外に向けるんじゃない、自分の中にさらけ出していくことだよ。


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